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プロフィール

スタジアムの熱気、外野席の歓声、そして世代を超えて受け継がれる青い情熱。
管理人「やす」が、再び西武ドームのスタンドへ通い詰めるようになった足跡をご紹介します。

やすプロフィールイラスト

管理人について

1998年、大学時代の仲間たちと立ち上げたスポーツ観戦サークル。
当時はサッカーの熱気に呑まれ、週末になれば仲間と各地のスタジアムへ足を運び、ゴール裏で声を枯らす日々を過ごしていました。

やがて学校を卒業し、サークルの仲間たちもそれぞれ社会へ出て就職。日々の忙しさに追われ、かつてのように全員で連れ立ってスタジアムに集まる機会は少しずつ減っていきました。

私自身も例外ではなく、就職し、結婚し、やがて子どもを授かりました。
そして生活の拠点を構えるにあたり、生まれ育った地元の近くに家を購入し、引っ越すことになったのです。

小学生の記憶:黄金期ライオンズと、二分された教室

私が育った街のすぐ近くには、日本中を席巻する名門球団の本拠地がありました。
そう、西武ライオンズです。

小学生の頃の私は、当時パ・リーグ最強の名をほしいままにしていたライオンズに夢中でした。
小学校のクラスを見渡せば、男子の頭の上はライオンズの青いレオマークの帽子か、ジャイアンツの帽子かのほぼ二択。それほどライオンズは身近で、圧倒的な存在でした。

時はまさにライオンズ黄金時代。
秋山、清原、デストラーデ、石毛、辻、平野、伊東、工藤、渡辺久信、郭泰源……。
名前を挙げればきりがないスーパースターたちがグラウンドに君臨し、当時のパ・リーグは「王者ライオンズに、いかに他5球団が食らいつけるか」という別格の世界線だったと記憶しています。

地元への帰還、そして親子で紡ぐ西武ドームの時間

地元に戻ってきたことで、幼い日のあの熱狂が、ふつふつと胸の奥で蘇ってきました。

学生時代からすっかりサッカー観戦に熱中していた私でしたが、「すぐ近所にスタジアムがある」という環境、そして何より、手元にはまだ幼い我が子がいました。

思い返せば、かつて私自身が両親に手を引かれ、ワクワクしながら向かった屋根のない西武ライオンズ球場。芝生の匂い、メガホンの音、そして夜空に上がる花火。あの記憶が、鮮明に蘇ってきたのです。

「あの頃、両親が自分に見せてくれた楽しい時間を、今度はこの子たちと一緒に味わいたい」

気がつけば私は、ドームへと姿を変えていた西武ドームへ、幼い我が子の手を引いて足しげく通うようになっていました。

外野席で響く太鼓の音に目を丸くする子どもの姿、スタンドで一緒に食べたお弁当の味、グラウンドで躍動する若き日の片岡、中島、栗山、中村たちの姿——。

親から子へ、そしてまた次の世代へ。
スタジアムという場所が紡いできた時間を、このサイト「ライスカ」を通して少しずつお届けしていきます。